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「日本の先駆者」(Vol.05)

ウルトラライトハイキングの理論と実践の中心といえば『Beyond Backpacking』の著者レイ=ジャーディン。そして先駆者といえばグランマ=エマことエマ=ゲイトウッド。1954年に67歳でアパラチアントレイルをスルーハイクした彼女が特筆されるべきはスルーハイクの事実だけでなくその装備にあります。高齢でありながらスルーハイクを可能にした「装備コンセプト」がまさに「ウルトラライト」に通じるものだったからなのです。(注1)

そして日本でもウルトラライトなコンセプトを早くから実践、提唱してきた人物がいます。大正〜昭和初期の日本山岳界に偉大な足跡を残す田部重治。木暮理太郎とのコンビはあまりにも有名です。著書『日本アルプスと秩父巡礼』に収録された当時の山行記録は、一世紀後の現代でも色あせない魅力にあふれています。田部−木暮コンビは道も不明瞭で案内人を雇うのが一般的だった当時、上高地−剣岳の北アルプス縦走を案内無しで実行、装備面も様々な工夫を凝らすなど、当時の岳界をリードする存在でした。田部の興味と足跡は日本アルプスから奥秩父、そして関東近郊の峠や高原へと広がっていくのですが、そんな最中の昭和5年に書かれた随筆(注2)にウルトラライトハイキングの精神に通じる記述が見られます。

「(中略)荷物を背負いすぎるために旅の軽快さを減じてゐやしないかと思ふ。」
「普通に山を行く場合は、三貫(注3)くらいが精々で、五、六貫となると愉快を減じ、そして総括的に見て決して経済的ではない。」
この随筆の中では重い荷を背負った学生と同じ行程で大きな差がついた体験も記述しています。荷物の軽さが、旅の軽快さと愉快さを高めるという考えはまさにウルトラライトハイキングの前提といえます。当時は案内人を雇い小屋を使わなければ、この軽さを実現することは不可能だったでしょう。こうした限定があるとはいえ、「軽快に山を歩ける荷=10kg程度まで」という数値目安は現代のLightweight Hikingのベースウェイトに相当するのは興味深いことです。

「登山靴は山の頂上付近、石多い土地を歩くには有効ではあるが、それ以外の場合には軽快を欠くおそれがあり、必要以上に私たちを疲れさせる。(中略)もっとそれを軽くする必要がある。」
「日本の登山は徒歩する範囲が広いだけに、もっと登山靴を軽くしなければ登山の愉快は味はれない。」
「私のやうに草履の軽さを痛感している人間には、今日の登山靴には全く閉口する。」
彼は木暮とおこなった北アルプスの上高地−剣岳縦走の際も草履を使用しています。生活の中で歩くことが圧倒的に多い当時の人は足ができているからこその発言かもしれません。また草履が当たり前の時代だからこその発言でもあるのでしょう。しかし登山靴の利点を認めたうえで、日本ではもっと軽くすべきだという提言は現在のシューズトレンドを予言しているようです。

田部重治はもちろん「ウルトラライト」という意識で語っているわけではありません。登山を軽快に、愉快にするためには、という思いで語っているに過ぎません。70年前の彼の言葉にハッとさせられるのは、既成概念にとらわれない柔軟性と先見性ゆえなのでしょう。
日本にも知っておきたい先駆者がいるのです。

注1)日本で早くからウルトラライトスタイルを紹介してきたホームページ「Ultralight Hiking」(http://www5b.biglobe.ne.jp/~ddpjapan/ulltralight/index.html)に詳しい。
注2)「足の速さ」(『峠と高原』1931大村書店)
1950年角川文庫にて復刊されていますが、現在絶版です。
注3)一貫目=約3.75kg

 
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